衝撃を受けました。
3月31日、私は自由の森の正面玄関でわくわくしながら待っていました。
この日、自由の森ではスペシャル授業が行なわれたのでした。今年度で自由の森を定年退職される教員の方々によるスペシャルな授業が行なわれたのでした。
どんなひとが来るのかな、何期の卒業生に出会えるのかな、ドキドキしながら、(たぶん)15期生のとてもきれいな先輩と久しぶりの自由の森のお話ししながら、正面玄関で待っていました。
今回授業をしてくれたのは、絵手紙とアコーディオンの塗矢さん(社会科)、人力飛行機部のノリさん(物理)、理科室にある大量の天井の黒いしみで有名な松本さん(化学)、理解できていない部分を放課後ゆっくり時間を裂いて教えてくれた増島さん(数学)でした。
アコーディオンと塗矢さん
剥製の猛禽ちゃんを肩に乗せて、時には音楽も入り映画のような授業の伊藤さん
どの教員の授業も、それぞれの教員の専門分野から見た、生き方、考え方の提示だったように思えました。しかし、それはあくまで、ひとつの意見の提示であって、押し付けではありません。(※自由の森では、教員がなぜか「先生」と呼ばれることを嫌います。)
印象に残ったことはたくさんありました。そのうちのひとつは松本さんの授業に出てきたこの言葉。
需要が供給を決めるのか、それとも供給が需要を決めるのか?
必要だからあるのか、あるから必要になるのか?
現在はあまりにも供給(生産)が需要(欲望)を支配している世の中になってしまっている、とのこと。
私も、似たようなことを思っていました。現代社会は、供給過剰を消化するために戦争がおきてしまっているようにも思えます。
しかし、新しいタブレットが欲しくなってしまったり、私自身の中にも「必要以上の便利」を求めてしまう気持ちを抑えられない部分があったりしないか? もうこんなにも便利で、モノにあふれた生活をしているというのに。
どの授業も、直接的ではないけれど、3.11のことを感じさせる授業でした。
私は、そんな自由の森の授業が大好きです。学校を卒業して3年目、私も考え、学ぶ、発信、応答を続けようと思います。
今年度で校長から理事長になってしまう、鬼さんの言葉も身にしみました。最後に紹介させてください。
(以下 自由の森通信 No.83より転載)
自由の森学園は、点数で人間を序列しないという基本的な理念をもとに創られた学校です。みなさんは、この3年間で「自由の森の自由とは何か」という問いの前に立たされた経験が何度かあるのではないでしょうか。それに対して、みなさんの持っている回答はどのようなものでしょうか?
理念に照らして考えれば、「序列主義からの自由」、「競争原理からの自由」と言えるかもしれません。また、もう少し広くとらえるならば、社会の常識や偏見、自身の囚われからの自由ということもできるのでしょう。序列的評価を排し、深く学ぶことによってそのような囚われから解放されることを自由の森は目指しているのです。
そして、もう一点、私は自由の森学園が他にない特質を持っていると考えています。それは、教員が教えるべきことを自分の(もしくは自分たちの)責任で考え選びとっている学校であるということです。
もちろん、学校である以上、学習指導要領を無視することはできません。また、恣意的な判断は避けなければなりません。しかし、一方で、教えるべき内容を政府が決め、教師はそれを分かりやすく噛み砕いて生徒に伝えるということが教育と言う仕事なのではありません。また、教育内容を問うことなしに、教育の方法だけを工夫するという考え方でもありません。何を、どう伝え、学ぶのかを考えながら、毎日の授業を創り、生徒と共に探求すること、それが本来の教育のあり方だと思います。