「Rethink」 国会前抗議活動
8月30日12時50分、私は国会議事堂に着きました。
もうすでに国会前の歩道は人でいっぱいになっていました。
まずはSEALDsのスピーチが聞きたかった。途中、黄色い一輪の花を持っているおばさんたちがいました。六ヶ所村の抗議のときに、機動隊員の人たちの胸ポケットに花を挿しながら「いっしょに建設反対をする側にまわろうよ」と呼びかけた方たちだったのかなぁ、などと思いをめぐらせながら人混みをかきわけていました。アノニマスの顔をしている人、全国各地の9条の会の人たち、子連れのお年寄り連れのお母さんたち、いろいろな年齢層の人たちが集まっていました。
とても不思議だったのは、”デモなのになぜ歩道?”ということでした。
警備をしてくださっている警察の人たちは、フェンスを使ってデモに集まった人たちを歩道から出ないようにしていました。
そこにガタイのいい男性がやってきて『おい!おまえらなにやってるんだよ!こんなに人が集まってるのに歩道に閉じ込めたら、けが人が出るぞ!どうするんだ!責任取れるのか!おい!』と怒鳴り声をあげて、しかもちょっと警察を押しながらそういっているのを見かけました。
確かに、私が通るのもやっとで、私以上に背の小さい方(特にお年寄り)は酸素も少なくて大変そうだ、体調不良になる人も出そうで、本当にまずい感じだなぁと思ったのですが、平和を求めるデモでそんな風に訴えてほしくなかったような気もしました。
弱い人を守りたい正義感から出た強い言葉だったのだろうということはわかるけど脅してはだめと強く思ってしまいました。
その後、私は人に押されてフェンスが決壊し、車道に出ることになりました。その一方で、40代50代ぐらいのおじさまは警察に押さえつけられて止められていることが多かったけれど、私は女性だったからか?スルーされて問題なく警官の横を通り抜けて国会がよく見える場所にたどり着くことができました。
国会前の様子をスケッチされている方もいました。
いろんな伝えかた、発信の仕方がありました。
今までは、動画で見ていたSEALDsのアクション。スピーチをしている人は、みんな自分の言葉で自分の感覚で話をしていて、素敵で共感しました。
しかし、コールが始まるとその言葉が強すぎて、なんとなくあまりいい気持ちにはなれませんでした。
異なる感覚の人とも一緒にアピールができる、ということはとても大切なことだと思うのですが、コールをしているときは同じ言葉が繰り返され、それによって洗脳され陶酔してしまっているような状態にも見え、平和へのアピールなのに攻撃的になってしまっているようにも思え、そのあたりが少し気になりました。
言葉が暴力になってしまうこともあると思うのです。
たとえば、『安倍は や・め・ろ!』
そのぐらい鋭い言葉を使いたくなるほど大変な状況になっていることはわかるけれど、私は自由と平和を求めるには、あくまで平和的な方法で行いたいと思いました。
現場では間に合わず家に帰って着てから、自森生の合唱を聞きました。
みんなで歌を歌うというのも、集まっていた人と一体になるひとつの手段だと思いました。
もしかして歌なら、警備をしてくださっている警官の心にも届くのかなぁ。
忌野清志郎のイマジンとか歌いたいなぁ。
Rethinkという言葉、これは二年前私がインドのオーロヴィントアシュラムに滞在してたときに出会った言葉です。
ほかにも「Recycle」,「Reuse」,「Reduce」,「Repair」という言葉かありました。どれもモノがありすぎる世の中に対するメッセージ性の強い素敵な言葉だけど、私にはどれよりも「Rethink」が輝いて見えました。
何をするときも、改めて考えるということ、大切にして生きていきたいと思います。
菅官房長官のデモに対しての感想や受け答え方を見ると、あまりにも国民をバカにしているようにしか思えませんでした。
多くのデモ参加者はその日、達成感に酔って、翌日からは会社に通い日常生活に戻って安定した収入を受け取り、大量生産大量消費の(安定した収入のためなら武器も売るような)社会システムに組み込まれているのだから大丈夫と彼は思っているのでしょう。
だから、私はRethink。